8月3日のことです。はけの自然を大切にする会の代表で中四町会の町会長、小金井の自然保護活動の大先輩だった田中兄一さんが亡くなられました。92歳でした。まだまだ教えていただきたいことがたくさんあり、衝撃が大きすぎてなかなか記すことができませんでした。
はけの途中自宅前にて (2018年安田桂子撮影) |
田中さんは小金井に幼少期から暮らし、住んだ家が小金井小次郎の屋敷跡の一角で、ずっとはけに暮らしてきました。若い頃は社史をまとめたり文章を書かれるお仕事をされたりしていましたが、たまたま仕事が一段落していた50代の時に町会の班長が回ってきて、その時に町会長のなり手がなく、ならば解散しようかという話になって「それなら俺がやる」と引き受け「町会長という仕事を通じて社会に関わっていくのもいいかもしれない」と考えて、以後町会長を仕事として生きてこられました。その間に小金井市の子供会連合会の活動や、小金井市体育協会の仕事など様々な社会教育活動を牽引されました。そしてここで特筆すべきは、小金井の名前の由来とも言われる黄金の水が湧くと言われたはけにある谷口邸の屋敷林の保存を実現させたことです。日頃から町会長として地域に心を砕いていたので売られて開発されそうになっていることにいち早く気がつき、都議などを動かして東京都に購入してもらうことにこぎつけます。田中さんの発案で、様々なことがうまく動き奇跡のような買い上げが実現しました。そしてその後、その向かいの土地はナショナルトラスト運動で市民の力で買い上げを実現しようと募金活動を先頭に立って行ってきました。
はけ文企画の講座に登壇した田中さん (2019年1月安田桂子撮影) |
2000年には自宅の離れに手を入れて、移転先を探していたこごうちぶんこという子ども向けの地域文庫に活動場所として提供。長年子供会や地元小学校で子供達のために活動してきた田中さんは子どものために最後に何か残したいというお気持ちで離れを提供したと言われていました。
小金井のはけ、坂下地域をずっと牽引してきた田中さん。子どもたちのため、自然のため、地域のために活動してこられましたが、いつも広く世界を冷静に見ている方でもありました。
いつも下駄を履いていた田中さん。 |
田中さんのことは書き尽くせませんが、田中さん亡き後も教えを受けたものとして、はけ文も微力ながら頑張っていきたいとと思います。田中兄一さん、ありがとうございました。
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