2016年11月2日水曜日

はらっぱまつりに出店します!

11月5、6日の土日、都市計画道路3.4.1と3.4.11にちょうど挟まれているあたり都立武蔵野公園くじら山付近で、今年も「武蔵野はらっぱ祭り」が開催されます。この道路計画を広く知っていただくために、はけ文はブースを出させていただくことになりました。
武蔵小金井駅方面から来るとリサイクルバザーが終わって一番最初のテントです。「市民の会」の署名もあります。お待ちしています!


講座「まもりたい!はけと野川の自然」(報告)

第一回「はけと野川はどう守られてきたか」

レポート:山田智佳子(小金井市緑町)

厚い雲が垂れ込める土曜日の午後、ママチャリをとばして小金井市立貫井北センターへ向かった。14時スタートの講座に集まった50名は高年齢層が圧倒的に多いなか、保育サービスを利用した子育て世代も何名かおり、小金井の自然を愛するという共通点で結ばれた場内は開演前から静かな期待でみなぎっていた。講演の内容はその期待を上回る素晴らしいものだった。アラフォー主婦の視点から、講演内容をまとめてみた。

今回の講師は江頭輝さん。自然保護活動をしている市民団体、野川ほたる村の事務局長さんだ。小金井市民歴20年の大先輩である。その20年間を通して継続的に野川ほたる村の活動にご尽力されてきたからこそ、地に足のついた、非常に実践的なお話であった。


講師の江頭輝氏

















江頭氏の講演は小金井市における市民の自然保護活動を時代の流れに沿ってまとめられており、本格的に市民活動が始まったのは昭和40年代からだったという。高度成長期の当時、開発の波とリン酸塩合成洗剤に汚されて、野川は悪臭を放つドブ川だったそうだ。その臭い野川にフタをして暗渠化(下水道化)してしまいたいという趣旨の陳情書が困り果てた住民から上がってきた。それを受けて、「三多摩問題調査研究会」発起人の矢間考次郎さんがアンケート調査を行った結果、フタをして暗渠化(下水道化)してしまいたい人が2割、きれいな川に戻したい人が7割いることが明らかになった。そこから、市民が自然再生を求めて活動する大きなうねりが生まれた。 


大岡昇平が「武蔵野夫人」の構想を練りながら散策した
と思われる、昭和40年代の野川。二枚橋から現在のくじら
山方面を望む(江頭さんのスライドから)


















矢間さんの「水辺を市民の手に」という呼びかけのもと、野川にフタをする動きにフタがされ、かつてのドブ川は長い年月を経て現在の清流へと浄化されていった。この野川の自然再生の歴史は、主に市民が行政に働きかけるかたちで実現した。

たとえば昭和50年代にスタートした「わんぱく夏まつり」。まつりのきっかけは、大人が用意するこども向けの余興に飽きたこどもたちの率直なつぶやきだったという。「野川で魚釣りがしたい」。そのつぶやきを聞き逃さなかった敏感な大人たちがいた。「子どもの問題は大人側の問題だ」と考え、子どもたちが野川とはらっぱを舞台に体を使って遊べるように、釣り大会、灯ろう流し、冒険橋、とりで、滑車などを造り、第1回わんぱく夏まつりを開催した。

しかし、開催地のくじら山とはらっぱは、実は東京都が定めた野川第三調節池の予定地だった。その開発に歯止めをかけたのは、わんぱく夏まつりに集い、はらっぱを愛する市民だった。当初の反対運動から30年を経て、やっと今年の秋に東京都の管理下から離れて武蔵野公園へ編入されたばかりだと聞いて驚いた。連続した緑地の確保に成功した貴重な例で、今後も市民が守っていく必要があるとのお話だった。

平成元年には野川第二調節池の護岸工事の際、対岸までコンクリートで固められてしまったことに気付いた市民が猛反発した。周辺に住む主婦の方々を中心とした有志が都庁に押しかけて強力な申し入れを行ったほか、少数だが粘り強い反対運動を展開し、結果的に建設局は完成直前に一度固めたコンクリートをはがして自然護岸に戻した。一度予算が付き、落札されて業者が着工してしまった事業を覆すほどの市民運動は異例だという。「小金井市民は進んだ感覚を持っている」と江頭さん。野川の事例は全国的に研究対象になるほど注目を集めた。

江頭さんが事務局長を務める野川ほたる村の活動からも、市民が発案し自然再生事業を成功させた事例が多く紹介された。そのひとつが平成14年度に実現したJR武蔵野線地下水の導水事業。野川ほたる村が発案・調査・要請し、小金井市と国分寺市が実行に移し、民間企業(JRと日立研究所)も関わったという大きなプロジェクトで、JR武蔵野線のトンネル内からあふれ出した地下水(その量一日1000トン!)を国分寺の姿見池を経由して野川に流すというものだった。野川が渇水に悩まされた時代に、そのままなら下水として処理されてしまうであろう水源を確保して野川に引いてくる着想はすごいと思う。二市を跨いでの事業展開は、民間人ならではの枠にとらわれない視点が活きた結果だったのかもしれない。一さんがることにがすというのは容易発のに



現在もこんこんと水をたたえるどじょう池
(江頭さんのスライドから)


















もうひとつは子どもたちにおなじみのどじょう池だ。野川第一調節池内にハケの湧水を溜めて池を整備し、平成134月に完成した。途中、なかなか行政が動かないことに業を煮やした市民が重機で乗り入れるという「事件」も発生したという。現在はみんなでつくる野川ビオトープの会に属する市民の手で維持管理されている。同じエリアには田んぼも整備されており、野川・田んぼ・ハケの森の三つの要素が豊かな生態系を織りなしている。

ここで江頭さんが協調されたのは、「自然と言う時に、単なる自然ではなくてその内側に生態系ができているということが重要」という点だった。例えば、野川のコンクリートをはがして自然護岸に戻す際も、一番上に元からあった土を盛ることにより、その場所に生えていた植物の種子が元通りに生えてくるようになるという。そういう細やかな点にも配慮しつつ、自然が再生するプロセスを手助けするには時間と知識と継続的な努力が不可欠であることがよくわかった。

講演の終盤は国分寺崖線の緑地保全の現状と市民の取り組み、そして緑地保全のための法令についての詳しい(そして難しい)説明だった。一番心に残ったのは、環境緑地は不安定という事実だ。江頭さんいわく、いずれ抜け落ちていく危険性を伴う民有地だ。都市計画道路についてもいえることだが、継続して守っていく努力は市民の手に委ねられている。「守るのは容易ではない。私たちの課題です」とおっしゃる。自然を壊すのは簡単だが、再生するのには時間がかかる。行政を動かすのにも時間を要するし、そうした取り組みを行っていく上では常に情報を収集し、豊かな知識を以って時には武蔵野線から水を引いてきたように妙案をひねり出す必要がある。

本当に、市民団体やボランティアとして活動を続けていくのは大変なことだ。市民それぞれの多忙な生活とうまく折り合いをつけて時間を捻出し、下草狩りや野川の水質調査などの地道な作業をはじめとし、市政と都政に働きかけて陳情書を提出したり、市民同志の話し合いの場を設けたり、自主的に、継続的に活動していく必要がある。継続していくのは体力的に大変だし、自分に厳しくないと無理だ。

それでも江頭さんは「丸投げ民主主義」からの脱却を訴える。小金井市の貴重な水と緑を次の世代に引き継いでいくのは、私たちひとりひとりの責任である。

講演の翌週、ハケの森緑地1に足を運んだ。東京都市町村樹林地公有化資金の活用第一号として注目され、市民の手で残された貴重な緑。

















あらためてその価値を感じる、のどかなハケの午後であった。























(小金井市緑町 山田智佳子)