2020年12月29日火曜日

はけ文講座2020「都市の自然を考える 第二回・タヌキや身近な動植物と私たちの暮らし 」報告 

はけ文講座2020、第二回目の報告です。一回目と同じくはけ文会員鈴木綾さんがレポートしてくれました。当日のお話がよくわかります。ぜひお読みください。

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2020年12月12日(土)14〜16時

会場 小金井市環境楽習館

講師 高槻成紀先生(麻布大学いのちの博物館名誉学芸員・玉川上水花マップネットワーク表)

司会・安田桂子、オンライン配信担当・佐野哲也

主催・はけの自然と文化をまもる会

協力・小金井玉川上水の自然を守る会(こだまの会)

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都市の自然を考える 第二回・ タヌキや身近な動植物と私たちの暮らし 報告

一昨年は戌年という事で、高槻先生は多摩動物公園で親子向けにイヌ科であるタヌキのお話をなさったそうです。今回の講座は、その時のお話をベースに進めて下さいました。 


高槻成紀先生。

キツネ、タヌキ、オオカミは全てイヌ科で、北半球温帯に住む我々には馴染みのある動物で、その生息範囲を見ると、キツネは極北から熱帯まで広い範囲に分布しています。 
オオカミは先進国では絶滅させられたものの、北半球を中心に広く生息し、その範囲はキツネ以上です。 
これらに比べるとタヌキの生息範囲は非常に限られ、東アジアに自然分布していますが、中国では食用にする事もあり非常に少なく、日本ほどはいません。20世紀前半、ソ連がタヌキをモスクワ郊外に持っていき、軍隊の毛皮を確保する目的で人工的に増やしました。現在では北欧や東欧にまで広がり生息していますが、日本のタヌキの二回りも大きく非常に肉食的だそうです。 
日本人なら誰でも知っているタヌキですが、その実態はほとんど分かっておらず、世界が注目して研究も盛んに行われるパンダの様な動物とは違い、タヌキはありふれていて綺麗でもない為にあまり研究はなされないのだそうです。 


 
<津田塾大学のタヌキ> 
高槻先生は前々から津田塾大学にはタヌキがいるだろうと予想されていたそうで、玉川上水の研究で出会った方が津田塾大学の先生を紹介して下さり、同大学のタヌキの調査が始まりました。 まず始めに、木の下にドッグフードとセンサーカメラを設置しました。その日の夜には、カメラにタヌキが映り、確かに大学にタヌキが生息している事が判明しました。

センサーカメラが捉えた糞をするタヌキ。

 
<津田塾大学のタヌキの行動範囲> 
次にその行動範囲を調査しました。 
タヌキは決まった場所でフンをし、それをタメフンと呼びます。 餌となるソーセージに、色分けしたプラスチックラベルを入れて大学の各場所に置いておき、タメフンのフンを調べる作戦です。 
ラベルを回収してカメラをチェックすると、タヌキはキャンパス内を縦横無尽に動き回っている事、柵を潜って玉川上水から夜8時に大学へ入ってきて早朝に出て行く事が分かりました。 
 
<タヌキと他の生き物との繋がり 〜タヌキの食性〜>  
高槻先生は、生き物の繋がりは「食べる事」だとおっしゃいます。生き物が別の生き物を食べて繋がっていくのです。津田塾大学のタヌキは他の生き物とどう繋がっているのかを知るため、その食べ物を調査しました。 
タヌキのフンを洗って篩にかけると、動植物のかけらが出てきます。 
それらを葉、種子、果実、哺乳類、鳥類、昆虫に分けてカウントします。これを1年続けたので、季節ごとのタヌキの主な食べ物が分かりました。晩冬はこれと言って目立って多い食べ物はありませんでしたが、春になると急に昆虫とネズミ等の哺乳類が多くなり、夏は、哺乳類や鳥類はほとんど出ず、昆虫と果実が多くを占めます。 
そして秋はほとんどが果実になり、初冬は再び昆虫、哺乳類、鳥類が出現しますが、1年を通して最も主だった食べ物は果実でした。
 


この「春に動物質が多くなり、1年を通して重要な食べ物は果実」と言うのは、多くの里山・雑木林に住むタヌキと共通するそうです。ただその種類は異なり、里山・雑木林の温帯の落葉樹林によく生えるノイバラやツルウメモドキは津田塾大学のタヌキからはあまり検出されず、代わりにギンナン、柿の種、ムクノキ、エノキがよく検出され、暗い林の果実を多く食べていました。 
玉川上水はコナラやクヌギ等の落葉低木が多い明るい林ですが、津田塾大学の林は常緑樹が多く、ほとんどがアオキやシラカシで、落葉樹は全く無い暗い林で、木の幹の太さも直径80cmのコナラ等太い木がある玉川上水と比べ、津田塾大学の林はほとんどが直径20cm以下のアオキやシラカシでした。つまり隣接しているのに、林の様子が全く違うのです。これは1929年、津田塾大学が麹町から引っ越して来た当時、周りは畑だらけで砂塵が酷く、防風林として松の木、シラカシ、ヒノキを植えた為です。5〜10歳位だった木々が、現在では100歳余りの立派な林となり、その下生えにムクノキやエノキが生えて暗い林となったのです。 
高槻先生の元には、全国各地からタヌキのフンが送られて来ます。それらを調べていくと、タヌキはその土地ごとに生えている1番相応しい植物を食べていて、つまりタヌキは「多様で可塑的な食性をもっている」と言えます。
 

<タヌキと他の生き物との繋がり〜植物編〜> 
春、調査をしていたタメフン場からは多くの新しい芽が生えて来て、それらの多くはムクノキとエノキで、タメフン場とそれ以外の場所の植物散布を調べると、タメフン場では明らかに動物散布による種子の植物が多かったそうです。 
タヌキから見た植物は生き延びる為の食糧ですが、植物から見るとタヌキは子孫を遠くに運んで散布してくれる重要な生き物です。この事は、ニュートラルに様々な角度から物事を見る大切さを教えてくれると高槻先生は指摘されました。 
 



<タヌキと他の生き物との繋がり〜フン虫編〜> 
動物の糞を食べて分解し土に還す、フン虫と呼ばれる種類の昆虫がいます。玉川上水のタヌキのフン虫はいるのかを高槻先生は調べられました。 
 犬の糞をティーバッグの中に入れ、それを割り箸に挟んで小さなプラスチックバケツの上に渡して、虫が飛んで逃げない様に、バケツには少し水を張っておきます。 
このトラップを夕方に玉川上水に仕掛け、翌朝見に行くとコブマルエンマコガネと言う虫が入ってました。 
高槻先生は、5匹のコブマルエンマコガネが直径4cmのフンを16時間程で分解して平らに崩してしまう映像を見せて下さいました。コブマルエンマコガネは体長1cm足らず、人に例えるとフンは二階建ての家くらいですから凄いパワーです。 
 
もしコブマルエンマコガネが玉川上水だけにいて周りの孤立緑地にいなければ、玉川上水の貴重さが証明できる為、高槻先生は更に調査を続けましたが、実際は予想に反して公園等の孤立緑地44ヶ所中37ヶ所にコブマルエンマコガネはいました。 タヌキは玉川上水とそれに繋がる緑地にはいますが、孤立緑地にはほとんどいない為、意外だったそうです。 
 
同等の実験を八王子の雑木林でも行ったところ、そこではコブマルエンマコガネの他にセンチコガネと言うフン虫もいました。センチコガネは草食獣の糞を好み、コブマルエンマコガネは肉食獣の糞を好みます。 
かつては小平にも多くの馬や牛がいましたが、戦後の開発により雑木林が減って馬や牛等の家畜がいなくなりました。そうしてセンチコガネは玉川上水付近では生き延びる事が出来なくなり、タヌキやイヌ等の肉食獣の糞が供給されるコブマルエンマコガネだけは何とか生き残ったのではと言うのが高槻先生の仮説です。 



<津田塾大学のタヌキ調査まとめ> 
以上の調査により、津田塾大学のタヌキについて以下の事が分かりました。 
 
・玉川上水を往復している。 
・シラカシ等の暗い林に生えるものを食べている。 
・種子散布の役割を担っている。 
・フン虫に食べ物を提供している。 
 

<タヌキと子供観察会> 
自然保護を声高に叫ぶのも良いが、若い世代に「自然って面白いね!」と伝える事も大事なのではと高槻先生はおっしゃいます。先生は子供達を集めて、タヌキのフンを調べたりフン虫トラップを仕掛ける観察会を開きました。 
 
動物の糞もそれにたかるフン虫も、汚いものとして嫌がられるものですが、子供達は興味深く話を聞いて熱心にスケッチをしたそうです。ある子の感想文には「もしフン虫がいなかったら森はとてもとても臭くなってしまう。フン虫は大事な役割をしている。」と書いてあったそうです。 
偏見の無い子供達の反応を見て、先生は「偏見は知らないことから生まれるのだ」と思ったそうです。知ることは偏見から自分を解放すること。世界中で起こっている人間同士の偏見も同じ事ではないかとおっしゃっていました。



<タヌキという動物と私たち> 
タヌキとキツネは人を化かすと言われます。化かすとは、変化する事で相手に迷惑をかける事です。 
 
江戸時代、暗闇は大人にとっても大変怖いものでした。夕闇の町や農山村で、タヌキが足早に走り、途中でちらりとこちらを振り返り、また走り去って行く。 
野生動物の世界では、敵から逃げる最中に振り返り、敵が来る方向とは逆へ逃げる習性があります。自分の命を守る大切な動きですが、人間には泥棒や万引きがキョロキョロと周りを窺う怪しい動きに見えたのです。そこから人に対して悪事を働く、よからぬ事を企む生き物として「化ける動物」とされたのです。 
 
タヌキを悪者として描く昔話「カチカチ山」は室町時代に出来ました。日本人のほとんどが農民の時代だったので、農作物を荒らす害獣のイメージが強かったのです。 
昔話「ぶんぶく茶釜」は江戸時代に出来た話で、多くの日本人が町民で消費的生活をしている時代です。町民からしたら、いてもいなくても害にならない事から「人が良いが間が抜けている」イメージになりました。 
「では現代の都市人の我々にとって、タヌキはどんなイメージでしょう?」と言って先生がスクリーンに映したのは、PontaカードのキャラクターPontaでした。思わず会場では笑いが起こり、無邪気そのもののイメージしか無いと言う先生の指摘に皆んな納得しました。 
ここで注目すべきは、今も昔もタヌキは何も変わっていないと言う事です。変わっているのは人間の都合です。 
獣偏に里と書くタヌキは、ずっと人のいる所に寄り添って生きて来ました。しかし、珍しくもなく綺麗でもないので保護はされていません。将来、タヌキと言う動物がどうなるかは分からないと言うのが現状です。 
玉川上水は空から見下ろすと、幅は狭いですが長く繋がっています。この長く繋がっていると言うのがタヌキには良いのです。上水の緑地が道路の建設により分断されれば、タヌキは生きていけなくなります。タヌキが住んでいる所に、都市生活者が車を走らせれば確実に事故は起こるでしょうと高槻先生はおっしゃいます。 
 

<最後に> 
「地球は人間のためだけにあるのではないのです」と言うレイチェルカーソンの言葉があります。素晴らしい言葉ですが、この概念は数百年も前のアイヌの民話の中に既に見られます。 
「ミソサザイとサマイクルのカムイ」と言う話です。 
昔、森に狼藉者のクマがやって来て、木を倒したり沢山の生き物の命を奪いました。これに怒った小さな鳥ミソサザイは、クマを倒そうと他の鳥達に相談しましたが、クマを倒せる訳がないと断られました。そこでミソサザイは人間の神サマイクルのカムイにクマの成敗を頼みます。闇の中、ホタルがクマの目の位置を示し、サマイクルのカムイは見事クマを弓矢で射ち抜きました。 
サマイクルのカムイは手にミソサザイを乗せて、他の生き物達にこう語りました。 
「身体が小さいからと言ってばかにしてはいけません。最も悪い事は他を軽蔑することです。」そしてホタルを指して「神様は決して無駄なものは作らないのです。」と言いました。
高槻先生は、クマはかつてアイヌの人々を滅ぼしたヤマトだと確信したそうです。サマイクルのカムイの言葉はまさに生物多様性を語っており、この世は人のためにだけにあるのではないと示唆しています。

レイチェル・カーソンのことば。
アイヌのことば。



<講座を聞き終わって> 
今回のお話を通して「知る」と言う事について考えさせられました。名前と姿を見聞きするのは「知る」事のほんの入り口で、その存在が他の生き物とどう繋がって生きているのか、その存在と自分はどのような関係にあるのか、そういう事実を徹底して見ていく事で「知って」いく。 
生物多様性を保全し、その中で人間の活動を行なっていくのは、あらゆる事実の上に成り立つ「知識」を駆使していく事なのだと思いました。 
 
そして同時に「知る」前の「興味をもつ」大切さも感じました。 
高槻先生の調査の出発点はいつも「知りたい」と言う好奇心です。他の生き物に関心を持つ事は、自分が生きているこの世界への好奇心です。自分が生きているこの地球とは一体どんな所なのか?他の生き物への関心は、自分自身への関心に繋がるところもありそうです。 
純粋な好奇心が次々と事実をすくいとって「知識」になっていく。その「知識」の上で「行動を選択していく」。様々な問題解決に必要なのは、このシンプルなサイクルだけなのかもしれません。 
 
玉川上水とタヌキのお話を聞いていて、私はふと自宅で使っている洗剤の事を思い出しました。ヤシノミ洗剤で知られるサラヤの「ハッピー・エレファント」と言う洗剤です。この洗剤は、環境中の生態系全てで生分解されるソホロと言う天然洗浄成分を使っていて、売り上げの一部がボルネオ島の熱帯雨林回復に使われます。東南アジアの赤道直下にあるボルネオ島は、膨大な二酸化炭素を吸収する事からアマゾンと並んで「地球の肺」と呼ばれます。 
しかしその熱帯雨林の森は、アブラヤシ農園で途切れ途切れになってしまいました。アブラヤシの果肉からは「パーム油」がとれ、インスタント麺やポテトチップス等の食用油に。その種からは「パーム核油」がとれ、化粧品や洗剤等様々な製品に使われます。アブラヤシを植える為に熱帯雨林は伐採され、過去50年の間に島の森林面積は50%以上消失しました。 
 
森が分断された事で動物が身を隠して行き来する事が出来なくなり、人間と動物の様々な衝突が起き、中でもオランウータンとゾウは絶滅の危機に瀕してます。この「事実」に気付いたサラヤは、分断された森の回復を目指す「緑の回廊」計画をスタートさせました。農園内に流れる川沿い14kmに植林を施すのです。森と森の間に吊り橋を架ける事でオランウータンは移動出来る様になりましたが、ゾウは森林が無ければ身を隠せないからです。 
こうして持続可能な共生を目指しているのですが、ボルネオ島の「緑の回廊」とゾウが玉川上水とタヌキの関係に重なって見えたのです。高槻先生がおっしゃった通り、タヌキは珍しくも綺麗でもありません。
でも、居て当たり前なら保護しなくても良いのでしょうか? 
私達は東日本大震災3・11でありふれた日常の有り難さや大切さを思い知らされ、今はコロナ禍により当たり前がいとも簡単に崩れてしまうのを見ました。あって「当たり前」の目の前の現実を、よくよく見て考えなければならない時代に生きているのではないでしょうか。小金井に住む私にとって、あって「当たり前」の玉川上水や野川、公園、それらを形作っている動植物達をよく見て「知って」いきたいと思いました。        (はけ文会員・鈴木綾)